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最高裁判所第二小法廷 昭和39年(行ツ)102号 判決 1968年11月15日

上告人

時岡弘

代理人

江村高行

ほか二名

被上告人

日本弁護士連合会

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人江村高行、同豊田悌助、同工藤舜達の上告理由について。

「弁護士法第五条第三号に規定する大学を定める法律」(以下大学指定法と称する。)は、弁護士資格者の特例として弁護士法五条三号に掲げる大学の学部等における法律学の教授または助教授として在職五年以上の者につき、その在職した大学を旧大学令による大学(以下旧制大学と称する。)のほか、学校教育法による大学(以下新制大学と称する。)については、「法律学を研究する大学院」を設けているものに限つている。新制大学について特にこのような条件を付したのは、新制大学でも「法律学を研究する大学院」を附置しているほどのものは、法律学研究施設も充実し、旧制大学で法律専攻の学部等をもつものに比して遜色のないものとみたものと解される。すなわち、いわゆる「法律学を研究する大学院」は新制大学について、それが法律学の研究施設として十分充実していることを認める基準なのである。

ところで、学校教育法によれば、大学院は、数個または一個の研究科をもつて構成され(同法六六条参照)、その研究科の課程の修了者には博士または修士の学位が授与されるものであるから(同法六八条および学位規則参照)、「法律学を研究する大学院」とは、実際においては、その名称はともかく、実体が法律学またはその特定部門(例えば公法学、私法学、民事法、刑事法)の研究を目的とする研究科が設けられ、その所定の課程の修了者には、法学博士または法学修士の学位が授与できるような大学院がこれにあたるわけである。これを、法学研究科を設けた大学院といわずして、きわめて抽象的に「法律学を研究する大学院」と称したのは、そのような実質をもつ研究科でも、大学によりその構成、名称等が区々となることを予想したためと推測される。されば、原判決が、これを解して、その実体が法律学の研究を目的としているというに値する大学院、または主として法律学を研究しているといえるような大学院とし、本件拓殖大学の大学院商学研究科は、若干の法律学関係の科目を設けているにしても、主として法律学の研究をしているものではなく、商学の研究を目的とするものと認め、同大学の大学院は、大学指定法の定めたものにあたらないと判断したのは、相当といわなければならない。

論旨は、弁護士法が大学の教授、助教授の在職者に弁護士資格の特例を認めた理由は、その個人的能力にあることを強調し、その資格について在職した大学に「法律を研究する大学院」の設置を要件とするようなことは、第二次的な意味しかないものといい、また大学の教授等がその専門とする法律学の分野では一般弁護士より高度の知識をもつものとし、これを弁護士にしてその知識を活用させる必要を説き、前叙のような大学指定法の解釈を、この特例を設けた立法趣旨に副わないものと論ずる。しかし、個人別に試験ないし考試を行なうことなくして一定の能力あることを認めようとする場合に、その者の在職した施設、在職年数等を基準に採用することは、決して不合理ということはできない。また弁護士資格に特例を認めた法の趣旨は、単にその者に特殊な法律専門知識があることだけに着目したものではなく、少くとも弁護士法四条所定の司法修習生の修習を終えた者と同じ程度の一般的な法律素養にも欠けるところがないことを予定しているものと解せざるをえない。所論をもつては、前叙大学指定法の解釈を動かすに足りない。

論旨は、なお法が大学の法律学の教授、助教授としての在職者につき、最高裁判所裁判官、高等裁判所長官、判事または二級検察官に任用される資格を定めるにあたつて、いずれも学校教育法による大学で単に大学院の附置されている大学における在職を要件とするに止まり特に「法律学を研究する大学院」の設けられた大学であることを要求していないこと(裁判所法四一条一項六号、四二条一項六号、同法施行法五条、検察庁法一八条一項三号、同法施行令一条参照)をあげ、弁護士質格がこれより厳重であるべきはずはないと論じ、また大学指定法を前叙のように狭く解するならば、同法の適用により、新制大学の教授、助教授の職にある者は、旧制大学のそれに比し、不合理な不利益を被ることになるものといい、さらに右解釈は憲法二二条、一四条に違背するものと非難する。

しかし、裁判官、検察官等の任用資格のある者でも当然に裁判官、検察官になることができるものではないのに反し、弁護士資格者は、登録をうけ弁護士会に入会することにより弁護士業務を行ないうるものであつて、法定の事由のないかぎり、その登録も入会も拒否されることはない。してみれば、これらの資格要件の定めに相違があるとしても、不当といえないことは原判示のとおりである。また原判決が、挙示の証拠および弁論の全趣旨に基づき、大学指定法の立法者は「法律学を研究する大学院」をもつ新制大学の学部等における教授、助教授としての在職者を、旧制大学の学部等におけるそれらの者と同等視することができるとする建前で同法を制定したものと認定し、その扱いを理由のないことではないと判断したのは、それら大学には、法律学の高度の専門的研究を目的とした施設が備わる点に着眼したものであつて、首肯できないものではない。されば、大学指定法につき前叙のような解釈をとることが、旧制大学の学部等における法律学の教授、助教授であつた者に不合理に利益を与えることにも、また「法律学を研究する大学院」の設けのない新制大学の学部等におけるそれらの者に不合理に不利益を与えることになるものともいうことはできない。

のみならず、弁護士法が弁護士資格を、原則として司法修習生の修習を終えた者に限つたのは、弁護士の職務内容が国の裁判制度と不可分の関係にあり、その公職的性格が顕著であることによるものであることはいうまでもないが、同法によれば、一定の欠格事由ないし登録進達拒絶事由のないかぎり、何人でも右の課程を終えることにより均しく弁護士となることができるのである。このような弁護士資格についての一般的な規制を正当なものと認めうるかぎり、それ以外に弁護士資格の特例を設くべきかどうか、また設けるとすればいかなる基準をもつてすべきかは、立法者の裁量に属する国の弁護士制度についての政策上の問題である。前叙のように一般的に弁護士となるみちが開かれている以上、所論のような基本的人権の侵害を生ずる余地のないことは明白であり、論旨は、ひつきよう違憲に名を藉りて大学指定法の解釈を争うものにほかならない。

論旨は、すべて採用できない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(奥野健一 草鹿浅之介 城戸芳彦 石田和外 色川幸太郎)

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